No Title29.

2004年3月2日 日常
◆奥さん、今日はCDショップに走りましたよ!by『瞳の住人』

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 ここ一ヶ月程、何事も無く仕事に行けたのだが、今年の風邪ももう終わりというわけにはいかなかった。
 昨日の熱はそれなりに引いたものの、気持ちが悪いという娘を幼稚園に預けるわけにもいかず、久し振りに娘関係で休んだ。

 参った。
 来週は只でさえ、調停と幼稚園の行事で2日も休まなければならないのに。

 子供の体調ってそんなもんだよな。

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 調停と言えば、もう一回目から一ヶ月経つのか…。
 一応、2回目の筋道を考えたりはしたが、一回目を迎える時のように入念には出来なかった。
 ダレてしまったか、どうにかなるかと安直になってしまっているか。

 前回の調停で私は離婚しなくても、また一緒に暮らして上手くやっていく自信が無いと調停員に告げた。
 (離婚をしないならしないで)今のまま別に暮らしていきたいと。
 あにはらかんや、調停員はそんなの不自然でしょう?夫婦とは言えないでしょうと言ってきた。
 その時は夫婦の形も100組居れば100の形があるだろうから、別居する事で離婚せず、お互いを思いやれるならそれも一つの道ではなかろうかと思い、口にした。

 別々に暮らさなければ、互いを思いやれないという点では自嘲する他無いのだが。寧ろ悲劇を通り越して喜劇である。

 だが、冷静に考えてみれば、母が言った「大きくなった時、○○(娘の名前)が、どう思うかとかも考えなさいよ」という言葉も尤もである。

 「パパとママはどうして一緒にいないの?」等と聞かれた日には子供電話相談室に電話してしまいたくなるくらいに困る事だろう。

 旦那の事は好きだと何度も書いてあるが、何故ここまで一緒に暮らすことを拒むかというと、原因は旦那の子供嫌いにある。

 我が子でさえ余り可愛いとは思えないと調停員に言ったという。
 子供が不得手な事は最初から知っていた。

 だが、産まれればまた変わるのではないかと期待するのも人情ではないだろうか。
 産まれてからも実感が無いからと言って、可愛く無いと言うのもよくある話である。

 しかし、月日が経ち、日々成長していく姿を見れば見解も変わるのではないかと、変わるはずだと思いたいのが妻として、母としての了見ではないだろうか。

 実際、私はそんな期待を持ち続けていた。
 いつか、私と旦那の子をこの上なく愛してくれるはずだと。
 日々、娘の成長を実感していく中で「ほら、あなたの娘はこんなにも可愛く成長しているじゃない」と、それと判るように記録し続けた。

 晩婚で出来た子供、特に女の子は男親にとってはとても可愛いものだと聞くが、矢張りそれも人それぞれなのだ。

 別居してもうすぐ一年。
 たまに会うだけでも疲れる、相手に仕切れない、どう接して良いか判らないと言う。

 私の旦那教育にも問題があったと思う。甘やかしすぎたと思う。

 それでも、例え育児や家事に手を出さなくても、可愛いと、俺が守るんだと思っていてくれているなら良かった。

 旦那が愛しているのは、私の『女』の部分であって、母としての私や妻としての私は余り重要では無いらしい。

 安っぽい言葉で言えば旦那の理想の家庭は『恋人』なのだ。

 確かにそれは大事だと思う。
 結婚しても恋人でいた頃のテンションを保ちつつ生活を送る事が出来れば楽しいに違いない。

 私だって子供抜きで旦那と2人きりで出掛けたいと何度も思った。
 でも、そんなことは子供が大きくなってからでも出来るのだ。
 子供といつも一緒に出掛けなければならないのは、ほんの10年程度の話である。
 そのうち、子供の方から親と一緒に出掛けたくないとなるのは、自分自身を振り返ってみればよく解る事ではないのだろうか。

 特に男親なんて邪険に扱われる事もあるというのに。

 それらのような先の状況を見越すこともせず、ただ可愛く無いと言われたのでは、私も一緒に居る自信は無くなる。

 要は私となら一緒に居ても良いということではないのだろうか。
 そして戸籍上子供がいれば世間体も保てる。

 そうして考えていくうちに、不自然な夫婦の形を否定するつもりは毛頭無いが、私達に限って言えば、それはとても娘にとって不憫な状況なのではないかと思うに至った。

 短絡的に答えを出す事は避けよう。

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